果京地区は街を十字でわけた南西にある。
南からはじまった都市化は、しかし駅前を賑やかしたにすぎない。三露のマンションのある辺りは果京地区の北東部、すなわち街のほぼ中心であるが、この辺りはまだ開発途中だった。果京より北の逆居地区はほぼ昔からの街並みがある。そしてマンションから果京と逆居の地区境界沿いに西へ進んでいくと、原生林が広がっていた。
その原生林は、近年の都会化により南から順に切り開かれているらしい。
三露が昨日とらえた動物達の魂は、原生林の広がる西へと還っていったのだった。
太陽が空の一番高くにあがったころ、三露はマンションを出た。
朝早くに目が覚めたものの、ずっと外へ出る気が起こらなかった。
昨日の魂に触れたことで、今回の事件の概要は掴めた。いや、掴んでしまったと言うべきか。これまではずっと、事件を起こしている正体を一刻も早く突き止めて、被害を出るのをふせがなくてはと思っていた。しかし突き止めた今、何とかしなくてはという気は全く起こらない。ただ憂鬱なだけだった。
あの魂は、動物達のものだ。そのことは触れた時に感じられた。西の林へ還っていったのだから、林に住んでいる動物の魂が集まったものだろう。
言うなれば動物の"生き霊"だ。恨みや怨念のために、身体から抜け出た霊魂。
何を恨み、何のために生き霊となって機械などに取り憑いたのか。そんなことを訊くのはナンセンスだ。近年の街の様子を見れば理由は明白なのだから。
マンションから西の林へとやってきた三露は、アスファルト舗装の道が途切れたところで立ち止まっていた。目の前にはもう道らしい道はない、ただ林が広がっているだけだった。
この林は、人間達の操作する機械によって南から切り開かれている。住処を奪われた動物達が、それを恨んで何の不思議があるというのだろうか。
悪いのは人間のほうだ、少なくとも三露はそう思う。動物達を責めることなど出来るはずもない。だからこそ憂鬱でやる気も起きないのだった。
その一方で、これこそが自分の仕事なのだとも思っている。ヒトでありながらも、科学や理論で説明のつかない不可思議な力を持つ自分の。動物や人の霊、妖怪、精霊、悪魔―――この世のあらゆる"不思議"と人とをつなぐことが、三露の役割だ。
動物達と対峙するのは正直なところ気が重い。しかしやらないわけにはいかなかった。三露は意を決して鬱蒼とした林へと一歩踏み出す。そこで、ふと背後に気配を感じた。
「……出てくれば?」
声をかけると、わずかの間をおいてから舌打ちが聞こえた。そして砂の地面を踏みしめる音と共に真田が姿を現す。見つかってばつがわるいのか、真田は仏頂面をしていた。
「どうして、俺がいるってわかったんだ」
納得のいかなそうな真田に、三露は悠然と微笑む。
「今日は満月だからね。……知ってる? 満月の日は魔力がとても高まるんだ。だから、今日の僕は特別なのさ」
嘘ではない。三露の力は常に一定のサイクルで増減していて、それがちょうど月の満ち欠けの周期と重なっているのだった。満月である今日は特に力が強い。真田は上手く隠れていたつもりなのだろうが、今日の三露はその気配を容易に感じることが出来る。
それに、先日よりも真田の力は回復しているようだった。悪魔を呼び出せるほどではないかもしれないが、動物達に狙われるほど弱くはない。この数日間、おそらく街をうろついていても襲われはしなかったはずだ。
しかしこの先はそうはいかない。林は動物達の領域であり、足を踏み入れれば敵と見なされておかしくないのだから。力の充実している自分はともかく、真田がここへ近づくことは危険だった。
「どうしたんだ、一体?  関わるなって言った君が、わざわざ僕をつけるなんて」
三露はわざと真田のことを挑発する。真田を怒らせて、この場から離れさせるのが一番いいと思ったからだ。
しかし真田は、怒るというよりもむしろ考え込んでいるという風に、眉間へ皺を寄せていた。
「……この林に、原因があるのか」
意外な真田の言葉に、三露は思わず目を開く。何故それを、どうして知ってるんだ、など喉から出かかった言葉をなんとか呑み込んで、もう一度挑発的な笑い顔を作り直す。
「君には関係ないだろう? 悪魔を呼び出せない役立たずなんだから、さっさと家に帰りなよ」
真田は怒って捨て台詞を吐き踵を返す―――と想像していたのだが、そうはならなかった。三露の予想を裏切って、真田はこちらへ歩み寄ってくる。
「ここに、事件の原因があるんだな。アンタが行くなら俺も行く。俺だって果京に所属する術者なんだ。……事件を解決する義務がある」
意表をつかれて立ちつくした三露を追い越し、真田は林の中へと歩いて行ってしまった。本当に思わぬ事態だ。頭を抱えたい気分で、三露は真田を追いかける。
真田は術者としての義務のためなら、感情を殺して協力するというのだろうか。いいやきっと違う。
総帥に認めてもらうために、三露に対抗しているに過ぎないのでは。手柄を上げたいのだろう。真田は総帥のためならば、三露への怒りさえ押し殺してしまえる。
馬鹿みたいだ、となんだか無性に笑いたくなった。

林の中には道など存在しない。
原因がここにあると言っても、ここに住んでいる動物達の仕業だというだけで、どこへ行って何をすれば解決するというわけではなかった。
なので三露と真田は道なき林の中を歩き回るはめになっていた。さきほどから動物の一匹も見かけない。
「朝、ニュースを見たんだ」
真田が語るのを、三露は黙って聞いていた。歩きながらも視線は油断無く辺りへと巡らせる。もう随分と林の中を歩いたのに、生き物の気配を感じないのが妙だ。
「ニュースでやってた、果京の田圃でトラックが大破。……原因は不明、怪我人も目撃者もなし。これ、アンタの仕業なんだろう? 前みたいに、トラックに気配が憑いていたのをアンタが祓ったんだ」
「ああ、その通りだ」
「アンタがまた襲われたのなら、何か手がかりを掴んだんじゃないかと思った」
「それは素晴らしい推理だね」
「手がかり、あるんだろう? 一体、原因はどこにあるんだ?」
三露の冷たい声音をものともせずに真田は質問する。そんな無神経さも、そして歩き回っても全く生き物を見つけられないことも、苛立ちの原因にしかならなかった。時間だけが無情に過ぎていく。
「原因は"どこに"、ね。……こっちが教えてほしいくらいだ」
わかっているならこうして歩き回らないで済むのに。皮肉を口にしながら、何か異変がないかと視線をせわしく移動させる。既に傾きかけている太陽に、三露は焦っていた。予定では夕方までに動物達と接触し、何とか片をつけるつもりだったのに(片をつける、というのが話し合いになるのか、それとも力ずくになるのかはわからないが)。
とりあえず日が暮れるまでには必ずこの林を離れなければいけない。夜は人間の領域ではない。
「……今日は切り上げようか」
三露が提案すると、真田が怪訝そうに眉根を寄せて立ち止まった。
「どうして。ここまで来たのに逃げ帰るのか?」
「そうじゃない、夜は危険だって言ってるんだ。陽が暮れるまでに帰らないと」
「……そんなに俺が足手まといだと言いたいのか!?」
ただ単純に本当のことを言っただけなのに、真田は曲解してしまったらしい。声を荒げ、それから大股で歩き始める。
「……真田、」
静止しようと三露はその背中へ向かって手を伸ばし声をかけた。互いの距離が開いた瞬間、不意にあたりの雰囲気が変化した。
どこからともなく羽音が聞こえてくる。更にそれはどんどん大きくなっていた。まるで取り囲まれているかのように、四方から押し寄せてくる。
先を行く真田も異変に気がついたのか足を止めた。
「真田!」
三露は真田に駆け寄ろうとした。が、顔の前を猛スピードで何かが通りすぎて阻まれてしまった。
「……鳥!?」
はしばみ色の鳥だった。あと少し身体が前に出ていれば、鋭いくちばしで目がえぐられていただろう。鳥は一羽ではない、気がつけば三十羽程もいるだろう鳥の群が三露たちを囲んでいる。いや、知らぬ間に木々の枝に留まっていたのをあわせるとそれ以上かもしれない。
「ノスリ……か」
林に生息する鳥だ。既に攻撃してきたところを見ると、群れ全体がもう臨戦態勢なのだろう。三露は忌々しい気持ちでいっぱいだった。動物たちと接触さえできれば何とかなると思っていたが、そう甘くはいかないようだ。相手には明らかな敵意があった。
静止している鳥たちを刺激しないよう慎重に、ポケットから財布を出す。そっと財布を開き、そこから和紙をつまみ出した。カサ、と微かに紙の折れる音がした。
それを合図にしたように、ノスリが一斉に木の枝から飛び立つ。
「……ンだ、こいつら!?」
真田が叫んだのも無理はない、何十羽という鳥の群が飛び立つ光景は圧巻だった。そしてそれは三露達をめがけて降下してくる。こうなってしまうともう手のつけようがない。真田は腕で顔をかばいながら何とか避けようとしていた。
取り出した和紙を切り抜こうと、三露はベルトからナイフを取った。しかし次の瞬間、ナイフを握った右手に衝撃が走る。ノスリが体当たりしてきたのだ。思わぬ攻撃についナイフを取り落としてしまった。そしてそれを拾わせてくれる余裕をノスリは与えてくれない。
次から次へと、ノスリは三露達の身体へと突進する。鋭い爪で肌を裂かれ、あるいは嘴でえぐられる。痛み出した二の腕を押さえると、手にべっとりと血糊がついた。三露は歯を食いしばる。
ナイフを拾う余裕がないならば、何か他で代用するまで。
ノスリから身を庇いながら、素早く血のついた人差し指を先程の和紙へと押しつける。指を滑らせ模様めいた文字をえがき、三露は瞬時に符を書き上げた。その符を指で挟むと唇へと当てる。
「電灼光華、縛鬼伏邪、急々如律令!」
唱えた途端、符から閃光が放たれた。目も眩むような光が四方に弾け散る。
「真田、逃げるよ!」
ノスリがひるんでいる間に、上手く逃げ出すつもりだった。
しかし真田の反応がない。先程ノスリをかわすために腕で顔を覆った格好のまま、その場でたたらを踏んでいる。ふらつく足下は先程の光のせいなのだと、三露は一瞬間おくれて気がついた。真田の目まで眩ませてしまったというわけだ。
「くそ、世話のやける!」
吐き捨てながら駆け寄って、真田の腕を掴んだ。そのまま三露は駆け出す。真田は逆らわずに引っ張られるがままになっていた。
道と呼べるもののない林は走りにくい。地面には石や岩が転がり、草が茂って足を取られやすい。背後で何度か真田が転びかけているのはわかったが、三露は速度を緩めなかった。早くしないと完全に陽が暮れてしまう。西の空を確認すると、もう太陽は沈みかけていた。
と、突然がくんと真田の手が三露を引いた。振り返って三露は愕然とした。握っていたはずの真田の腕はもう手の中にない。一体どういうことかと首をめぐらせると、真田は左手方向の急な斜面を転がり落ちていた。
地面から突き出た木々や岩に打たれながら落ちていくさまは、まるで人形のようだった。それほど無抵抗に真田は転がり落ちていく。
三露は思わず真田の名を叫んでいた。

空は赤く染まっている。太陽が、沈んだ。


* * * *


息が苦しい。わずかに回復した視界の端に映ったのは血のように赤い空だった。林の木々は黒く影になって、真田を見下ろすようにそびえ立っている。鼻をくすぐる土の匂い、口の中に広がる鉄の味。身体中が軋むように痛んだ。
逃げる途中に足を滑らせたのは覚えている。あとは身体を打つ衝撃と痛み、霞んだ視界をめまぐるしく反転していく風景、それだけだ。そういえば三露の悲鳴を聞いたような気もする。
体を起こそうとするが、痛みのためにままならなかった。仕方なく状況だけでも確認しておこうと、真田は首を傾けた。目に入った景色は暗い。木々と空の見分けがつきにくいほどに日暮れが迫っている。やがて空全体を覆うだろう闇が、空の端から徐々に広がっていく。そして月も。
東の低い空に浮かんでいるのは満月だった。暗い空によく映えている。その姿は美しく、満月の夜は魔力が高まるのだという三露の言葉に思わず納得した。あの月は"魔"だ。
ようやく通常に回復した目で真田は食い入るように月を見つめた。魅入られてしまいそうだと思う。じっと月を眺めていると、ふとその輪郭の一部がぼやけたことに気がついた。いや翳ったのだ。月の縁に映し出された無数の黒い点が、輪郭を曖昧にしてしまっている。
「……蝙蝠」
先程のノスリの比ではない。計り知れない数の群れをなした蝙蝠が、月を背景に映し出されている。まだ点である蝙蝠達は、確実にこちらへ近づいてきていた。
今の真田ではあれらから逃げ切ることは出来ないだろう。身体はまだ鈍く痛んでいる。もしかするとあばらの一本二本は折れているのかもしれない。残された道は蝙蝠に喰われるか、それとも。
真田は仰向けになったまま、ゆっくりと右手を空へと突きだした。手のひらを上空へと向ける。近づいてくる蝙蝠の羽音がかすかに聞こえてきた。
召喚Laden!」
喰われたくなければ、こちらが喰うしかない。悪魔を召喚するしか手はないのだ。たとえ自分自身が喰われてしまう可能性があるとしても。
姿成せErscheinen大食公Vielfrassベルゼビュート!」
叫ぶように唱えると、辺りの空気が急速に冷えた。逆に真田の身体は沸騰するように体温が上がる。呼ばれた悪魔が真田の力を喰っているのだ。万全の状態なら何でもないはずなのに、今は召喚に途方もない苦痛が伴う。
「くっ……」
空へ向けた腕が振るえる。額に汗が浮かび、頬を伝って流れ落ちた。体の中にあるすべてのものを持って行かれそうな感覚におそわれる。意識さえ奪われかけていた。
視界が暗くなっていく。蝙蝠達が近づいてきたせいなのか、それとも目蓋が落ちてきたのか、それすら真田には判断できなかった。五感の全てが機能を失いかけていた。口の中に広がっていた血の味も、鼻に流れ込む土の匂いも感じることが出来ない。蝙蝠の羽音は近づいているはずなのにどこか遠く、ざわざわとした雑音へとすりかわる。
死ぬのか、と、どこか他人ごとのように考える。朦朧とした意識の中、ただ暗かっただけの視界の隅がぼんやりと明るくなってきた。間断なく続く耳鳴りが、ブツ、ブツと途切れる。その合間に何か声のようなものが聞こえた。
「……みの、なるひ……がたなせ、たいいつ!」
瞬間、光が爆発したように真田の視界が一気に明るくなった。夢から覚めたような感じだった。宙に浮かんでいた意識が手繰り寄せられるように、急速に覚醒する。五感が意識下に戻ってくる。すると身体の痛みも血の味も、はっきりと感じられた。
沸騰しそうな程の体温上昇はもう感じられない。楽に呼吸が出来るようになっていた。身体中のものを吸い取られるような感覚はなくなっている。呼び出したはずの悪魔はいつの間にか還ったようだった。
一体何が起こったのかと、真田は視線を巡らせようとする。蝙蝠の羽音は消えてしまっている。何だかわからぬうちに危機は去ってしまったらしい。
真田はひそかに安堵する。全身の力が抜けていくようだった。そのせいか、今度は急速に目蓋が重くなっていた。持てる力を全てついやして悪魔を召喚したせいで身体が限界を訴えている。今や薄目を開けたような状態の視界には、景色も満足に映らない。
こんなところで意識を失うわけにはいかない。唇を噛み、腕に爪を立てて真田は眠気に耐えようとした。しかしわずかな痛みは眠気を和らげることはできず、そのうち唇や腕にも力が入らなくなる。
「……大丈夫だ、心配ない。危険はなくなったから」
不意に、すぐ傍で落ち着いた声がした。真田の額にひんやりとした手のひらがあてられる。何か懐かしいような、くすぐったいようなそんな感触。
「……誰だ?」
「眠るといい、もう夜になってしまったからね」
言葉に促されるように、額に置かれた手のひらへとゆっくり意識が奪われ始める。真田は力を振り絞り、一瞬だけ重力に抗って目蓋を押し上げた。
映ったのはただぼんやりとした人影。そしてその背後には黒い空に満月が浮かんでいた。まばゆいばかりの光が溢れている。
「―――……総帥」
それきり、真田の意識は途絶えた。

満月の日だった。




           

 





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