「管狐が毎日毎日うるさくて眠れない」
三露はやって来るなり真田にそう言った。真田の暮らすワンルームマンションに不満の篭った声が響く。
今朝、三露が朝早くから訪ねてきた。驚く真田をよそに上がらせてと言って扉を滑り込み、気がつけばちゃっかりクッションをひっぱりだしてきて座っている。真田が呆れながら何用かと訊くと、不機嫌そうに「管狐が」と言う。真田は目を瞬くしかできなかった。
東果の学校に潜入した事件から約一ヶ月も経つせいか、すぐには思い至らなかった。
「…えーと…、ハ?」
「だからね、この竹筒が毎日毎日しくしく泣き続けるんだよ。すすり泣きしながら蓮、蓮、蓮…ってうるさくて仕方ないんだ」
三露はテーブルの上に細い竹筒を置く。太めのシャープペンほどの筒で、封印の札が貼りつけられていた。
「あ…ああ、管狐」
―――東果の事件の原因の。
ようやく意を得たり、という真田の反応に三露はほんの少し眉を寄せた。だからそう言ってるじゃないかと批難がましい目を向けられたが、真田だって東果事件から遠ざかって久しい。すぐには浮かばなかった。正直なところ、管狐は三露がもう祓ってしまっているとばかり思っていた。蓮が「クダなんて要らない」と言ったから、三露が退治してしまったのだとばかり。
「え、えーと…それがどうしたって言うんだ?」
「だから泣いてうるさいんだよ」
「俺に言われても…―――言っておくけど預かってくれとか困るからな!」
「そうは言わない」
途端に三露は語り出した。管狐のすすり泣きに堪えかねてタオルでぐるぐると巻いて廊下に放り出してみたが、防音効果をまるで無視したように脳内に声が響く、と言う。そのままクロゼットの中に仕舞い込んでみたがそれでも同じだった。毎日毎日じめじめとした小言と泣き声を聞く生活を一ヶ月も続け、三露は堪えかねたらしかった。聞いている真田はむしろ管狐を哀れに思ってしまったが、口が裂けてもそんなことは言えない。
「それでその声から逃げようと思って出かけるんだけど。いい加減梅雨が明けなくて嫌になるよ。だいたい書類とか仕事とか滞ってるのに外に追い出されたら僕が困る」
真田はぽかんと口を開けた。普段冷静な三露にしてはおそろしく饒舌に不平を言う。
「それでね、そんな僕を気遣って親切な友人が助けてくれるって言うんだ」
「…俺は言ってねーよ」
三露が口を尖らせた。
「…ということで、君に頼みたいんだけど」
「だから預らないって言ってるだろ」
「だから預かってなんて言ってないってば。これを蓮のとこまで届けてきてよ」
―――は?
「もう一回東果の学校に行って来て」
耳を疑った真田の元に、小さく『レン…』という鳴き声が届いた。


* * * *


バスで駅まで向かい、電車で一駅。すると東果の学校まですぐだった。真田は学校に入り込むなり、すでにぐったりとした面持ちで歩いていた。
またしても髪を黒く染め、制服を着ることになってしまった。別に潜入しなくたっていいと訴えたのに、三露はすぐ行ってきてと言うのだ。時刻はまだ真っ昼間、蓮が学校にいるのは明白だ。放課後まで待ってもいいのに、と真田が文句を言ったのだが、残念ながらそれを許さなかったのは管狐だった。故意なのか無意識なのか、管狐はしつこいほど「レン、レン」とばかり繰り返す。―――ああ、確かにこれはノイローゼにでもなる、と真田は頭を抱えた。
一刻も早く管狐を手放すのが得策だ、と真田はまたしても生徒に扮することになってしまった。

「…だいたい、何で俺が…」
東果にお使いに出ることになった真田の髪を、三露が楽しそうに染めてくれた(コイツに任せていると本当に不安になる)。そんな友人に、真田はぶつぶつ文句を言い募った。
「自分で行けばいいだろ。俺、伊織に嫌われてるんだからな」
蓮とは折り合いが悪かった。一方的に嫌われているのだが、そんな人間が管狐を連れてきて取り合ってくれるのだろうか。なんで俺に頼むんだよ、と心底人選ミスを訴えた。
「僕は仕事が立て込んでるんだよ。もう本当仕事の円滑が悪くていい加減にしてほしい。書類とか雑務が溜まってるんだ」
三露が自分にはわからない仕事をこなしていることはぼんやりと知っている。立場上仕方がないことだ。事件なら手を貸せるのだが、書類如何では真田はむやみに手伝いを申し出るわけにもいかない。そうすると手が空いているのは自分だけだった。
「…じゃあ、伊織の方を呼びつけたらいいだろ」
「蓮が学校終わるまで、君がこれを預かってくれるってこと?」
―――そ、それは。
真田の部屋でも管狐は煩かった。先ほど東果に持っていく話を聞きつけた管狐は、すっかりすすり泣きをやめ、かわりに蓮に会えることを待ちわびているらしかった。レンに会いたい、レンにいつ会えるの、と何度も繰り返していた。
「………それじゃあ…影とか、いるだろ」
いけ好かない使い魔の話題を出すのは真田も癪だったが、聞いた三露も気に喰わなかったらしい。
実のところ、どうやら果京の事件で影を果京に置き去りにしたせいだろう、帰ってきてからは影はここぞとばかりに三露に張りついているらしかった。今月の新月の夜だって三露は真田を頼ってこなかった。あの影が「影は総帥をお守りするのが役目です」と言って離れないのではなかろうか。
そんな三露が大きくため息を零す。
「届けにいくの、そんなに嫌か?」
「は?」
「君がどうしても嫌だって言うなら仕方がないけど」
よく言う。どの口がそう言うのか聞きたいくらいだった。三露は周到にも一日用カラーリング剤を持ってきていたし、いままでうきうきと染めていたではないか。嫌がる真田が観念するに至るまで、三露は強行的に髪を染め出したのに。
「…本当に仕方がないとか思ってんのかよ…」
「思ってる。でもね、僕は」
三露が言う。
「君に、お願いしているんだよ。真田」
そんな一言で引き受けてしまった自分が情けない。けれど三露はあの影でなく自分に頼んできた。ならば行ってやろうか、とほんの少し優越感を感じてしまった。

ところが単純に引き受けてしまったことを、すでに真田は後悔していた。図書室に響く二人の声が喧噪のように遠くに聞こえる。それを眺めながらため息を零すしかなかった。
「だから授業始まってるじゃない、さっさと戻ったらどう? 受、験、生のお兄ちゃん!」
と、妹の京。
「お前がこいつと一緒にいるから、俺は心配して!」
と、兄の蓮。
真田はそんな兄妹喧嘩に身を挟むこともできないまま遠巻きに、管狐の件はいつ言い出したらいいのかと悩んでいた。
「心配されることじゃない! お兄ちゃん真田に失礼!」
「こんな奴信頼できるわけねーだろ!」
―――できればこっちに話を振って欲しくないんだけど…。
実は真田は学校に着くなりきょろきょろと蓮の姿を探し、しかし生憎見つからなかったのだ。おそらく昼休みも終わりに近づいているはず。慌ててた真田はしらみつぶしに教室を巡り、なんとか図書室で京を見つけ出した。三露に頼まれておつかいに来たと説明し、蓮が見当たらないから『管狐』を渡して欲しい、と頼んだ。
ところが京は渋い顔をして、首を振った。
真田の知る限り、京は頼まれごとを気安く請け負うような少女で、コクリ事件の間もよく雑用を頼まれたり、三露に頼まれたからと言って満月の日に夜通し付き合ったほどだ。その京に断られるとは露ほども思っていなかったので、真田は少なからず驚いた。
「だって私お兄ちゃんと喧嘩してるの、コクリの一件からずっと」
どうやら蓮が管狐を京に憑かせたというのが喧嘩の要因だという。以来冷戦状態だったらしい。それでは託けも頼めないので真田は困り果てたのだが、間髪入れず次なる関門が襲ってきた。
今しがた予鈴が鳴ったせいで、生徒たちは授業に向かい、図書室は静けさが広がっていた。そこをつんざくように図書室の扉が開け放たれる。
入ってきた男子生徒の黒縁眼鏡をかけていた。そのレンズの奥にギラギラとたぎる怒りが篭る。
「…お前、京から離れろ!」
蓮はその能力で、真田と京が出会ったのを察知してきたらしかった。
―――そこまでなら好都合だったのに。
しかし蓮の登場に京が嫌悪を剥き出しにしてしまい、兄は兄で真田に絡む。すると京は庇うようにまた喰ってかかる、と悪循環を繰り返して、すでに真田は所在なく図書室の隅に座り込んでいた。
「だいたいお兄ちゃんなんで図書室に来るのよ! ストーカーみたいに人の気配探ってないでよ!」
「違ッ! …お前と…妙な気配が遭遇したから、そいつと…クダの。だから俺は単に…心配して」
「ふーん。見ての通りなんともないから。わたし真田とお話するんだから、用事が済んだら授業戻ってくれる?」
真田の知る限り、京の怒り様はへそを曲げているといった感じだったが、言い募るごとに悪辣な物言いにエスカレートしていった。これを止める方が無理な話だ。
「早くしてよね! わたしお兄ちゃんの顔なんてもう一秒だって長く見ていたくないの! さっさとどっか行っちゃってよ!」
否、蓮がここですごすごと退散してしまっては真田の用事が果たせない。慌てて制止しようと思うが、その場の雰囲気が真田の喉が詰まらせてしまう。
「京…まだ怒ってるのか…。どうしたら許し…」
「わたし怒ってない。ああそうだ、お兄ちゃんの大切な大切な管狐さんを真田が届けに来てくれたんだって」
「……」
「私に憑かせたり、学校に病気流行らせちゃったりするくらい大切な管狐さんでしょ? ほら、真田にお礼言わなきゃ」
京がにっこりと笑って真田をふり返った。その視線を追うようにぎこちなく蓮もこちらを見やる。真田は二人の厳しい眼差しを露骨に浴びてしまい、顔の筋肉が強張るのを感じた。できることならば「三露が届けろって言うから!」と弁解したくなるほど、自分に向いた怒りの矛先を霧散させたくなった。
「え…あ、その…」
ようやく本題に触れたのはいいが、萎縮してしまった真田はすぐに口を開けない。三露に言われて持ってきた旨なり、渡すように頼まれた経緯なりを説明をするべきだろうが、うまく口が動いてくれずもごもごと口篭もるしかなかった。
そんな真田を、蓮はしばらく睨んでいた。蒼ざめた真田を見、その手元に出してあった細い竹筒を冷たい目で見下ろした。
「クダの件なら、俺は…」
蓮がゆっくりと口を開くと、真田の手の中が緊張に震えた気がした。あれだけレンレンと連呼していた管狐は、思えば蓮に出くわすなりじっと息を潜めているようだった。会えて緊張しているのか、会わせる顔がないからか、真田にはわからない。
「―――俺は要らない。…前にもそう言った。総帥にそう言って突き返してくれ」

なんとなくそう言うと真田は思っていた。
管狐は前回の事件の原因だ。蓮にしてみれば、今京と喧嘩を繰り広げていることも然り、あれだけ学校から人気が失せる病気の原因も然り。今は授業中でなりを潜めているが、学校の活気は元気すぎるほど戻っていた。それを見る度、蓮は管狐のことに苛まれているのかもしれない。
正直真田だって、三露がもう祓ってしまったと思っていたのだ。そんなものを前置きもなく届けられて、蓮がはいそうですかと受け取るとは、やはり思えなかった。
真田の手の中の竹筒が小さく身じろぎのような動きをする。なんだか可哀相に思えて仕方がなかった。自分を責める蓮も、急に縮こまってしまう管狐も。
「俺はてっきりもう―――総帥が祓ったと思ってたんだ」
蓮は弱々しい声で言いつづけた。
「今さらすぎる。何で俺に渡そうとするんだよ…総帥は…」
「………それは」
ところがしんみりとした空気を打ち抜くように、京がわなわなと喉を震わせた。
「何それ。なんかそんなの…管狐さんだってかわいそうじゃない」
京が管狐を気遣うとは思ってもいなかったのだろう。蓮が意外そうな顔で口を噤む。
「お兄ちゃん受け取らなかったら三露が祓うって言ったのよ確か。お兄ちゃんが要らないって言うってことは…『死ね』って言ってるんじゃないの? …それ、ひどい!」
誰もがわかっていて、決して言葉にしなかった事実だった。図書室の空気が凍りつく。


真田には死んで欲しくない人間がいた。母であったり、自分の保護者がわりをつとめてくれた一乗寺であったり。でももうこの世にいない。
そんな真田にしてみればまだこの世にいる管狐をみすみす死なせるなど、許せなかった。蓮が自責があるから簡単に受け取れないことも、管狐もたやすく蓮に縋れないことも痛いほどわかった。わかった上で、管狐を蓮が受け取ることが一番まるく収まるに違いない。そんな気がして真田は後押しするように言葉を選ぶ。
「…これを受け取りたがらないと思うから、と…そのときは伝えてほしい、と三露に言われてきた」
静まり返った図書室で、ひっそりとした真田の声は思いがけないほど響く。
「伊織は何で三露が管狐を自分に託そうとするんだって言うけど―――まるで何も考えてないみたいに迷惑がってるけど…アイツはアイツで考えてるんだと思う」
託けというより、真田が訝しむので説明してくれたのだろう、三露は。
何故そんなに蓮に管狐を押しつけたがるのかということを。
『僕はね、東果のことを心配してるから管狐を蓮に托したいんだ。コクリのこともあったし、東果に術者が足りないってわかってるんだ。二人とも学生だしね、限度がある。…でも、回せる人がいないんだ』
三露は組織の人員不足について悩んでいたらしい。真田の配属されている果京地区から、北に逆居、北東に小松という地区があった。どちらも、ミサ、武政という一人の術者で賄っている。東にある東果も学業に忙しい二人、とはいえ果京だって一ヶ月ほど前に大切な一人を失ったばかりだった。
真田は知らないが、全国的にも足りないのかもしれない。
『今までなら蓮の能力で問題を早いうちに見つけて、ヒメがまだ芽のうちに摘んでしまう、それでどうにかなってきたんだろうけど…コクリ事件みたいなことになったら』
三露は少し言葉を切った。
『と、思うとね。どうしても…。…なにしろ実践力がヒメだけだろう? それじゃあ真っ先にヒメが過労で倒れる』
コクリ事件のときも、よく京が倒れなかったと思う。
『せっかくこの妖力の高い管狐が蓮に懐いているのだから、蓮が飼い慣らせば…少しだけ負担が減るだろう』
まあ利用するみたいなものだけど、殺すよりはずっといいんじゃないか。
三露はそう言った。納得しないようならこれを説明してやってもいいよ、と三露は笑っていた。
そんな言葉を心に浮かべながら、真田は心して喋った。
「…もし飼い慣らせなくて、また憑かれるようなことになったら今度はちゃんと祓う、て三露が言っていた」
アイツはそういう思惑をちっとも口にしない奴だ、と真田は思う。
説明してもらったときは呆れてため息しかでなかったほどで、もう少し他人を理解させる努力をしたらいいのに、と思う。いつも心を許しているように調子に乗っているが、まるで境界線にも似た一本を、三露が引いているように思えてならなかった。
「だから、伊織が受け取るのが一番いいと思う」
「………」
しばらくすると、観念したような声が響いた。
「……わかった」
蓮は意を決したのだろう。


「じゃあ、お兄ちゃんはこれで用が済んだってことね?」
「え?」
神妙な面持ちで蓮が竹筒を受け取ると、京はそんな空気どこ吹く風、といった様子で言った。いまだにツンツンとした愛想のないものを孕んだ声だった。
「管狐さんを受け取った。わたしが無事なのも確認した。はい、用事は終わりでしょ? 教室戻ったら?」
真田も蓮も、思わず言葉を失ったほどだ。
「お、お前こそ授業…」
口を開きかけた蓮を遮るように、わたしは真田とお話していくし受験生じゃないもの、と京は鼻で笑った。真田の知る限り、そんなやさぐれた京の表情ははじめてみる。あまりに不甲斐ない応酬の延長戦に、真田は少し蒼ざめた。―――また、兄妹喧嘩…?
「でもお兄ちゃん受験生だもん、しっかりお勉強しなきゃ」
「別に一時間くらい…」
慌てて取り成そうとした蓮だったが、その拍子に図書室のカウンタに積んであった本を崩してしまった。音をたてて雪崩れる本たちが次々に床に叩きつけられていく。蓮は弾かれたように身を屈めて本を拾おうとした。
「あ、お兄ちゃん大変。『落、ち、ちゃ、った』ね!」
蓮の伸ばした手が、ピクリと動きを止める。
大変、と言うわりに京は慌てた様子など微塵もなかった。それどころか妙に語尾の方を強調した京の目は、白い目にも似て冷え冷えとしたものが込められている。
「気をつけなきゃね受験生。そうそう教室に戻る間に階段で『落ちたり』、『滑ったり』しないよう気をつけてね?」
「………京」
「よもや『転ぶ』なんてこともないようにね?」
京はにっこりと笑う。
その笑顔には蓮に次の句を言わせない何かが漂っていたように思う。蓮は眉を盛大に顰め、くるりと踵を返してしまった。
「もう、いい。俺は戻る」
「そうね受験生」
蓮は図書室の扉に手をかけるのだが、真田は一部始終を見ていても一体なにをもって蓮が機嫌を損ねたのかわからない。
最後に批難がましい目で威嚇をされたが、何を言うでもなく図書室の扉をくぐっていってしまった。パタン、と乾いた音が響いた。
「い…伊織…いくらなんでも」
そこまで言って、真田は口を噤んだ。
兄の姿が見えなくなると、京は俯いてしまった。耳から濃茶色の髪が零れ、まるで暗幕のように少し赤らんだ目元を隠していく。
「お兄ちゃんのばか…」
真田は思わず小さく笑みを漏らした。
―――これなら、そのうち仲直りする、かも。


「ところで伊織、さっき…のやり取り…何だ?」
真田は首を捻った。何故蓮がもういいと言って退散することになったのかいまいちわからず、京に助けを求めたのである。
「さっき…?」
京の方こそ怪訝にしたが、逡巡して気がついたらしい。
「ああうん、だってお兄ちゃん神経質だもん。『落ちる』とか『滑る』とか言ったらすぐ機嫌悪くなるよ」
「? 言ったら…駄目なのか?」
京は説明しにくそうに眉尻を下げてから言った。蓮は今年『大学受験』をする人間で、日本の受験戦争というやつに挑む学年なのだと説明した。
「落ちるって"受験に落ちる"って意味に繋がるの。"滑る"もそう。…うーん禁句って言うのかな。縁起でもないことを言うのは良くないことだから」
京によるとそういう連想ゲームのようなものらしい。
結婚式で切れると言うのは駄目。四は死、九は苦に繋がるから駄目。エトセトラ。
「言葉には力が宿るのよ。誰かに向かって『死んじゃえばいい!』って言って、本当に死んでしまったらそれは言葉が殺したってことになるの。…こういうの、日本では言霊って言うんだけど」
「……コトダマ」
真田は反芻しながら息を呑む。
「……じゃぁ、アイツが殺したんじゃないか」
喉がチリチリと痛かった。

―――死んでるんだ。
―――離魂した。

そう言った人間がいたではないか。男は薄く笑って、人の悪い笑みで真田を小馬鹿にでもしてるよう。確かにあのとき、横たわる一乗寺を前にして。
「一乗寺を殺したのは、アイツだ」
真田の脳を這うように、一人の男の笑顔が思い起こされる。
「え? 真田…?」
京が驚いたように声をあげたが、真田は取り合う余裕がなかった。喉がカラカラに渇いている。悲しみが怒りにとってかわり、憎い思いが身を焼くようだ。
一乗寺を殺したのはあの男だ。確かに彼がはじめに口にしたのだ、一乗寺を殺す言葉を。
「……アイツなんて、死んでしまえばいい」
この言葉にも、力が宿ればいい。


* * * *


三露は通い慣れた一軒の和風家屋の前で立ち止まった。『一乗寺』という表札を掲げているこの家は、主人を失って一ヶ月ほどが過ぎ、もしかしたらうっすらと埃を積もらせている頃かもしれなかった。
三露は少し険しくなった表情を緩めるように嘆息し、門をくぐる。玄関へは寄らず、いつものように庭へ抜け、すると見慣れた縁側があった。
雨戸の類は全て開け放たれ、一人の人影が縁側に腰を下ろしていた。生憎見慣れた和服男ではなく、その幼馴染だった。
「―――早かったね、武政」
武政如(きさら)はにっと口元に笑みを刷(は)く。
「…それで? 総帥さま直々に仕事の依頼? だから呼び出したんだろう?」
三露は頷いた。武政には昨日一本の電話を入れていて、仕事の依頼があるからと話をつけた。しかし武政は話もろくに聞かずカラカラと笑って「嫌だね」と言う。三露は武政が適任者と思って頼んだだけに、そうやすやすと引けず、とにかく資料を見てから考えてくれないかと渋った。
その電話で何度か押し問答を繰り返し、ついに武政が「なら…」と口を開いた。
三露はそれを思い返しながら静かに口を開く。
「…仕事を請けてくれる、ということか。昨日…『条件がある』と言ったな」
「まだ請け負うなんて言っていない。条件を飲んでくれるのなら働いてやってもいい、と言ってる」
「…それで? わざわざ真田を果京から追い出せと言って、その上"ここ"に呼び出した。それはつまり―――」
昨日の電話で武政が言った。
『条件がある。とりあえず交渉しようじゃないか。そうだな、久幸の家で話す。…悪魔っ子を連れてくるなよ、総帥さま?』
あいつがいると説明しろと煩そうだ、と笑う。
三露にも何となく武政の言い出す"条件"が見えていた。おぼろげな予想だったが、ならば真田に聞かせるのはよくない、と思った。外に出さないように努力しているが、日本に来てこの方世話になった一乗寺に関する話は、真田にとってタブーに違いない。
静かに言葉を掻き消した三露を見て、武政は奥の部屋を見やる。
一乗寺の寝室だった。
「条件はあれだ」
武政はまるで襖の向こうを見るような目だった。すっかり笑みが失せ、真剣な色が覗く目。
「三露、お前昨日とりあえず事件を調べて来てくれ、とか何とか言っていたな?」
真面目くさった声に、三露は顔を顰める。しっかり仕事の依頼内容を聞いていたんじゃないか。
「ああ、言った」
「じゃあ、難なら"調べる"じゃなくて"片づけて"きてやってもいい。ただし」
その目はどこか遠くを見ているよう。
「―――久幸の鎮魂(たましずめ)。つきあってもらおうか」
武政はどことなく目元が寂しげだった。




           

 





Copyright(c)2004-2005 Saki & Shii All Rights Reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送