波間の白い水しぶき。紺色に揺らめく海を、フェリーが切り裂いて進んでゆく。
三露は甲板に出て波間をジッと見つめていた。舳先が波を起こすと、水面が白く泡立つ。飽きることなく見つめていられるのは、これが現実逃避だからだ。本当はフェリーになど乗りたくなかった。
フェリーは港を出発して一時間ほどで目的地に着く予定だった。三露がちらりと時計に目を走らせると、もう着港時間が迫っている。
「じきに島へつくよ……降りる準備をしておいてくれ」
三露はそう言って、少し離れたところにいる少女へと顔を向けた。少女は甲板の柵につかまって身を乗り出し、長い髪を風に遊ばせていた。
「もう着くの? 結構早いのね」
少女・忍はさらに柵から身を乗り出す。傍には精霊のレラがついているから危ないことはないだろうが、いくらなんでもはしゃぎすぎだ。三露は小さくため息をつく。フェリーに乗る前は酔うかもしれないから嫌だと大騒ぎしていたくせに。
「ねぇ、着いたら泳げるのかしら?」
忍が目を輝かせながら訊ねる。しかしそんな忍とは裏腹に、三露はとてつもなく憂鬱な気分だった。
「さぁ、ね。そんな暇はないんじゃないか? 遊びに来たわけじゃないし」
そう、遊びに来たわけではない。果京から電車を乗り継ぎ、更にフェリーにまで乗って向かう先は、術者組織の本部である。先日術者になることを約束してくれた忍を正式に登録するため、三露と忍は本部に向かっているのだった。
そして組織の本部は、同時に三露の生まれ故郷でもある。三露の生まれ育った海に浮かぶ小さな島。フェリーは着々と島へと近づいている。
「せっかく来たのに泳げないの? もったいない」
忍は残念そうに頬を膨らませ、傍らのレラと共に甲板を離れていってしまった。どうやら忍は島へ行くのを楽しみにしているらしい。しかし島へついても忍に構ってやれる暇などないはずだ。三露にはやるべき事が沢山あった。
忍の登録手続きは勿論、先日訪ねた伊織京の能力こと。能力を失うという前例のない事態を調査しなければならない。三露にとっては頭の痛いことばかりだ。
フェリーは快調に走り続ける。しかし島へ近づけば近づくほど、三露は心が憂鬱になっていくのを感じていた。島に帰るのは仕方がないことなのだ、と懸命に自分に言い聞かせる。
そのとき、着岸五分前のサイレンが鳴り響いた。周囲の乗客がざわざわと降り口へ向かっていく。
「……もうすぐ…か」
三露は誰に言うともなしに呟く。傍らに止まっていた揚羽が微かに羽を動かした。
「もうすぐ島へ帰るよ。……懐かしいだろう、影」
揶揄するように、三露は揚羽の姿をした影に指を指しだした。影はそっと三露の指にとまると、二三度羽を開閉させる。返事をしたいのだろうが、揚羽の姿では答えられるはずもない。それに元より返事など期待していなかった。人目があるので影には人の形をとらせていない。
三露は影を連れてフェリーの降り口へと向かった。前方、海の向こうに故郷の島が見えている。
あの島は三露にとって檻の中だ。術者として、総帥として、三露を枠の中へ押し込めて型どおりに振る舞うことを強要する。
「本当は帰りたくなんてなかったのに……」
島は三露にとって、海に囲まれ閉ざされた、逃げることのできない牢獄なのだ。

肺の奥に溜まっていた息を吐き出し、一乗寺は軽く首を振った。
縁側からゆるい風が吹き付け、手元の書類がバサバサと音を立てる。風にさらわれて行方不明にならないうちに、と、一乗寺はそれらの書類をまとめて茶封筒へ押し込んだ。
首を捻って外を見ると、縁側からのぞく空は雲ひとつない晴れ。ニュースでは台風が近づいていると言っていたが、そんな様子は微塵も感じられなかった。
「―――……嵐の前の……」
「……え?」
一乗寺の呟きを耳ざとく聞きつけたのは真田だ。ここのところ毎日のように家へやって来ている。一乗寺は仕事が立て込んでいたために全く相手をしてやれなかったのだが、それでも真田は懲りずにやって来ていた。
「今、何て言ったんだ一乗寺?」
「いや、わざわざ口に出して言うことでもない」
茶封筒を部屋の脇へ寄せると、一乗寺は立ち上がって縁側まで出た。歩いた瞬間、頭がくらりと揺れる。ほとんど不眠不休で仕事を片づけていたため、身体が変調を訴えていた。
一乗寺が柱に手をついて立ち止まると、縁側に座っていた真田が心配そうにのぞき込んでくる。
「アンタ、大丈夫なのか……?」
「あぁ、もう仕事は粗方終わったから……」
こめかみに指を当てながら小さく頭を振る。気分の悪さは収まらないが、残っている仕事はあと少しだから片づけてしまいたい。全て終わらせてから休むなり寝 るなりしよう、と一乗寺は考えた。が、今の状態では仕事が手に着かない。小休止を取るために縁側まで足を延ばし、明るい空を見上げた。
「よく晴れているな。台風が来ると言っていたが……」
「あぁ……"嵐の前の静けさ"…だろ?」
真田が足下の砂利を蹴りながら小さな声で呟いた。一乗寺は驚いて思わず目を開く。
「……難しい言葉を知ってるんだな」
真田はドイツ育ちとは思えないほどの流暢な日本語を話す。祖父が日本人であり日本の血も混ざっていることが幸いしているのだろうが、それでも真田が口にする日本語に一乗寺は時々驚かされる。"嵐の前の静けさ"だなんて日本人でも滅多に使わないのに。
「アンタがさっき言いかけてやめたのは………コトダマになるから?」
真田は一乗寺を見上げながら訪ねる。一乗寺は驚きを隠せないまま、真田の隣に腰をかけた。
「……言霊だなんて、どこで覚えたんだ?」
「伊織に聞いたんだ。言葉には力が宿るから、って……」
そう言って真田は手で太陽を遮りながら、晴天の空を見上げた。太陽の光は眩しいほどに強く照りつけている。
「これで嵐が来たら俺のせいになる?」
真田が冗談めかして言うので、一乗寺は少し微笑んだ。そして真田と同じように陽の光を遮りながら空を見つめる。
「なら俺が言霊をかけなおしてやる。……"嵐なんてやってこない"」
目を細めながら一乗寺はそう口に出した。言霊などとふざけてみたが、案外切実な願いかもしれない。
嵐など来なければいい。この穏やかな晴れ間がいつまでも続けばいいのに。


一乗寺の家に真田が通い詰めているのは、どうやら伊織京のことが気になってのことらしい。一乗寺はそれを微笑ましく思う一方、不思議でもあった。
「そんなに伊織京が気になるなら、家を訪ねてみたらどうだ?」
先日、京の兄である蓮が、三露に話があると言って一乗寺家へやってきた。なんでも京が能力を失ってしまったという。馬鹿な、と思ったのは一乗寺だけではなかったはずだ。三露も有り得ないと言っていたし、真田もそう思ったに違いない。
落ち着きのない様子で真田は口を開いた。
「アンタのところには、何も連絡入ってないのか…?」
「そうだな。伊織蓮がやって来て以来は、何も」
蓮から話を聞いた三露が伊織家へ向かったが、その三露からの連絡もない。そのまま忍を連れて本部へ向かうと言っていたから、今頃は海の上だろう。組織の本部は海に浮かぶ小さな孤島にある。一乗寺も術者登録の際に訪れたことがあるが、何もない田舎の島だった。
「三露からの連絡を待つか、それとも自分で訪ねるか」
しかし三露からの連絡は当分ないはずだ、と一乗寺は付け加える。三露は組織の総帥、ああ見えても意外に忙しい。本部へ行った以上、しばらくは仕事に忙殺されるはずだ。ならば自分で京を訪ねるしかない、と一乗寺は提案するのだが。
「……俺、伊織のところには行けない」
真田は煮え切らない。この話題になった途端、暗い表情をする。
しかし一乗寺は、この家を訪ねてくる暇があるのならば直接伊織のところへ行って様子を見てくればいいのに、と思う。それとも真田も年頃だということだろうか。一乗寺が首を捻っていると、真田は俯きがちに口を開いた。
「前、伊織の家に行ったことがあるんだ。アンタがいなかった時だけど……コクリとかいう妖怪を退治しに」
「……あぁ、三露から聞いている」
自分が死んでいた間、随分と色々あったらしい。東果で起きた怪異は伊織兄妹の手に負えず、三露と真田が協力して収めたのだという。
「その時伊織の家に行ったのなら、場所だってわかるんだろう?」
一乗寺は訪ねるが、真田は首を振っていっそう俯いてしまった。銀髪の隙間からのぞく表情は苦痛に耐えるように歪んでいる。
「……伊織の家族はすごく幸せそうで……。でも俺は悪魔憑きだから、俺みたいなのが行ったら……」
かすれた真田の声は悲痛だった。消え入るように言ってから手で顔を覆ってしまったので、一乗寺はギョッとする。泣き出されてしまっては、どう言ってやればいいのかもわからない。
そして、真田がそこまで悩んでいたのかと驚かされる思いだった。悪魔は確かに周囲へマイナスの影響を与える。だからこそ人との付き合いに敏感になるのだろう。自分の家族にさえ嫌われた真田だからこそ、余計にだ。
「真田……」
一乗寺が声をかけると、真田は小さくかぶりを振った。
「違う、嘘だ……。俺、本当は羨ましいんだ。俺も昔、契約した悪魔にほとんど力を喰われて……」
真田の言葉に、そういえばそうだったと一乗寺も当時のことを思い出した。三年前、真田が日本にやって来た時、悪魔に力を喰われた真田は今にも死にそうな程に憔悴していた。それを救ったのが三露、すなわち総帥だ。ドイツからやって来た真田を出迎え、果京までつれて来た。
「死にそうだったお前を、総帥が救ってくれたんだったな」
「うん、…それにアンタも心配してくれた。……けれど、俺の家族は…Vati(父さん)もSchwester(姉)も、誰も……心配なんてしなかった。きっと俺が日本に行って喜んでる…!」
真田の肩が震える。一乗寺は口を噤み、何も言えなくなってしまった。家族に否定される辛さなど一乗寺は知らない。家族が元々いなかったせいもだろう。それに父親と折り合いの悪い友人・武政だって、辛そうな素振りなど見せたことがなかった。
「…でも伊織は、」
真田は上擦った声で続ける。
「伊織はBruder(兄)に心配してもらって……きっと家族みんな、伊織のこと心配してる……」
伊織兄妹は仲が良い。先日やって来た蓮も妹の心配に疲弊した様子だった。蓮の家族も同様に違いないだろうと一乗寺は思う。どこにでもありふれた家庭、それを一乗寺も真田も持っていない。
「伊織が羨ましいんだ…! 妬ましくて、でもそんな自分も嫌なんだ、俺……」
真田が顔を上げる。泣いているのではないかと一乗寺は懸念したが、真田の目に涙はなかった。かわりに額から細く血が流れている。顔を覆っていた指が傷つけたのだろう。見ると真田の指先が赤く汚れていた。
「真田、消毒を……」
エタノールを取りに行こうと一乗寺は立ち上がりかけたが、それよりも早く真田の手が伸びる。着物の裾を捕まれ、一乗寺は身動きできなくなった。布地が赤く汚れる。
「どうして俺には心配してくれる家族がいないんだろう…?」
着物をきつく握りしめながら真田が呻くように言う。一乗寺はしばらく動けなかったが、そっと真田の手を外すと、立ち上がって部屋の中へと入った。


遠ざかる一乗寺の足音を聞きながら、真田は顔を上げることが出来なかった。
こんな弱音を吐くはずではなかったのに。けれどいつも心のどこかに引っかかっていることだ。平凡な家庭を望むことがそれほど贅沢な願いだろうか。
しかしその不満を一乗寺にぶつけることは間違っていると、真田もわかっている。一乗寺など家族すらいない。それに比べれば自分は恵まれているのだと、真田は自身に言い聞かすしかなかった。
遠ざかった一乗寺の足音が、今度はまた近づいてくる。弱音を吐いてしまった後で何となく後味が悪い。しかしいつまでも黙っているわけにはいかない。真田は思いきって顔をあげ、一乗寺の目をまっすぐに見つめた。
「い、一乗寺……ごめん。こんなことアンタに言うつもりじゃなかった……」
膝の上で拳を握りしめる。先刻自分の言ったことを反芻し、情けなさでいっぱいだった。一乗寺だって呆れているに違いない。
しかし一乗寺は気に留めた様子もなく、手に持ったものを見せつけるように真田の目の前へ出した。
「顔を上げていろ。あと、大人しくしてろよ」
「……え?」
目の前に出された小瓶が一体何だか真田にはわからない。真田が戸惑っているうちに、一乗寺は小瓶をあけると中から小さな白いかたまりを取り出した。
「一乗寺、なに………、ッ!」
白いかたまりが真田の額に押しつけられる。その瞬間、電気のように身体の中を衝撃が駆け抜けた。
「い、痛い…!」
「大人しくしてろと言っただろう」
真田は何とか痛みから逃れようともがくが、一乗寺がそれを許さない。白い綿からしみ出す液体が、額の傷口に染みて激痛を引き起こしていた。
「何するんだッ……離せ!」
「消毒だ。まだ傷が残ってる」
一乗寺は無情にも他の傷口にまで液体を塗りはじめた。こんな痛い消毒ならいらない、今すぐやめてほしい。真田は一乗寺の身体を蹴って抵抗する。が、一乗寺は平然としていた。
地獄のような消毒作業の後、真田はぐったりと縁側に寝そべっていた。一乗寺はというとしれっとした顔で消毒瓶を片づけている。
「アンタ…鬼だ……」
「お前を思ってのことだ。傷口が膿むと厄介だから」
一乗寺の小さな笑い声が聞こえる。真田は寝転がったまま視線だけを一乗寺に向けた。先ほど吐いた弱音のことを、一乗寺はもう気にしていないのだろうか。そんなことを考えながら棚へ瓶を片づけている一乗寺の背中を見つめた。すると不意に一乗寺が振り返る。
「真田、覚えているか?」
「な…なにが?」
急に振り返られ、驚いた真田は声が上擦る。咄嗟に取り繕おうとして身体を起こし、二三度咳払いをした。するとそれを見てか、一乗寺が笑む。
「前に、俺のことを"父親みたい"と言っただろう?」
「あ……あぁ……」
一乗寺に言われて思い出した。確かにそんなことを言った。さりげなく真田を支えてくれる一乗寺は、まるで父親のような存在だった。しかし当の一乗寺にしてみれば迷惑な話かもしれない。
「あれは忘れてくれ……ごめん、あんなこと言って」
「いや、いいんだ。そうじゃなくて……」
薬瓶を片づけ終えた一乗寺が真田の隣に座る。
「そうじゃなくて、お前は俺を父親と言ったのだから……家族みたいなものだろう?」
「え?」
真田は目を瞬いた。
「家族……?」
「あぁ。血は繋がっていなくとも、家族だ。違うか?」
一乗寺に訊かれ、真田は思わず言葉を詰まらせた。 家族? 自分たちが? まさか一乗寺にそんなことを言われると思っていなかっただけに、油断していた。涙腺が緩みそうになり、あわてて真田はそっぽを向く。
その時、一乗寺からそらした真田の視線の先に、明るい金髪が揺れた。清々しい日光を浴びて輝く金髪の少女は、ミサだ。門をくぐって来るところだった。
「こんにちは、ジョージ。真田もいるのね」
「……ミサ」
ミサから涙目を隠さなければ、と真田が考える前に、ミサは歩み寄ってきた。少しくすんだ青い色の瞳が真田の顔をジッと見つめる。
「……真田、なんだか顔色が悪い」
「あ、あぁ……」
出来るだけ自然な仕草に見えるよう、真田はそっと目尻を拭う。するとミサが不思議そうに首をかしげた。
「泣いてるの?」
「なっ……泣いてなんか!」
真田は勢いよく顔を上げると、必死の思いで首を振って否定する。人前で泣いてしまうなんて恥ずかしい。それも一乗寺の言葉に感激してだなんて。
大丈夫? などと問いかけてくるミサに誤解だからと説明していると、隣からくつくつと低い笑い声が聞こえてきた。
「……何笑ってるんだよ一乗寺」
どうせ馬鹿にされているに決まっている。むっとしながら一乗寺を睨み付けると、一乗寺は真田が思っていたよりもずっと優しい表情をしていた。真田は虚をつかれて何も言えなくなってしまった。笑ったまま一乗寺が口を開く。
「お前にも、心配してくれる仲間がいるじゃないか。それで十分じゃないか?」
と、一乗寺はミサを見やる。真田もつられてミサのほうへ顔を向けた。こうしてミサが心配してくれ、一乗寺も気に掛けてくれる。本当の家族でなくても家族に近い人がいるし、仲間もいる。それで十分じゃないか?
―――その通りだ、と真田は思った。自分にはこんなにもかけがえのない人たちがいる。


* * * *


フェリーが着港したのは小さな港だった。港と言っても待合室がポツンとあるだけで、あとは車を止めるためのスペースが少しあるだけ。相変わらず田舎だな、と三露は心の中で毒づいた。港に接する道路の向こうには鬱蒼と木が立ち並んでいる。
「これが……組織の本部?」
フェリーから降りた忍は、驚きを隠そうともしないでそう呟いた。きょろきょろと忙しなく辺りを見回しては、信じられないとばかりに目を開いている。
「本部だよ。……自然の多い、とてもいいところだろ?」
口を歪めるように笑みを浮かべながら、三露は皮肉を口にする。いいところなどとは一度も思ったことがない。何もない退屈なこの島で産まれ育った三露は、いつだって島から脱出することばかり考えていた。
それなのに帰ってきてしまった。新しい術者が見つかったことは喜ばしいが、術者登録のために同行しなけらばならないのは盲点だった。忍がもう少し大きけれ ば、せめて高校生ならば一人で行かせるところだったが。しかし忍はまだ中学生。電車を乗り継ぎフェリーにまで乗り、一人で組織へ行ってくれとはさすがに三 露も言えなかった。
「……手早く済ませて帰ろう」
三露はそう言って歩き始める。組織の本部があるのは三露の実家、今は祖母が住んでいる海沿いの一戸建てだ。本部の運営は元々祖母が全て行っており、三露はお飾りの総帥に過ぎない。
「婆様に会うのも久しぶりだな……」
三露が島を離れてしまってからも、組織のことはほとんど祖母に任せている。早く一人前になって自分一人で組織を運営していきたかったが、それにはまだ三露の力は及ばない。
組織を動かすということは能力だけでなく、信頼や実績、統率力、人脈といったあらゆる力が要る。組織の運営に携わるたびに、三露は自分の未熟さを思い知らされていた。
「ま、待ってよ三露…! 歩くの速い」
後ろから声をかけられ、三露はハッと我に返った。振り返ると、忍が息を切らせながら追いついてくる。
「放って行かないでよ! こっちは道がわからないんだから!」
「あぁ…ごめん」
そんなに速く歩いていたつもりはないのだが。しかし考え事にふけるうちに周りが見えなくなっていたことは確かだ。三露は素直に謝罪を口にする。すると忍がわざとらしく眉間に皺を寄せた。
「それに、あんまり怖い顔しないほうがいいんじゃない?」
忍は皺を寄せた眉間をとんとんと指で叩く。言われて初めて、三露は自分が険しい表情をしていることに気がついた。息を吸って顔の筋肉をゆるめる。
「ありがとう……ご忠告、痛み入るよ」
「どういたしまして」
忍がにっこりと笑う。皮肉気に笑っていた三露も、それにつられて笑顔になった。忍は無邪気で助かる。もし一緒に来ているのが例えばあの武政だったりした ら、と思うだけで三露はゾッとした。人がふさぎ込んでいるのをいいことに、ここぞとばかりにつけ込んでくるだろう。しかし忍は、三露が弱っていることに気 がついていないのか、ずっとマイペースだ。
そういえば自分が組織の総帥だと告げた後も、全く態度を崩すことがなかった。何の感慨もなさそうに「ふぅん」と呟いただけで、その後も平気で三露に怒鳴り つけたり笑いかけたりする。総帥扱いしないというよりも、総帥の意味がわかっていないのかもしれないが。どちらにせよ三露にはありがたいことだった。
と、突然視界の端で影が飛び回り始めた。先ほどまでずっと大人しくしていたのに急にどうしたのだろうか。怪訝に思いながら三露が辺りを見回すと、人影が近づいてくるところだった。
「あれ? 誰かこっちに来るわよ」
忍も近づいてくる人間に気がつき、顔を上げた。三露はというと、ほとんど睨み付けるようにしてやってくる者たちを見据えていた。
「……お待ち申し上げておりました、総帥」
やってきたのは、この島の術者だ。三露の前で揃って膝を折る。忍が隣で息を呑んだ。当たり前かもしれない。普通に生きていれば他人に跪かれることなどないのだから。
三露は冷ややかに術者を見下ろした。
「お前が迎えか?」
「はい。婆様に仰せつかまつって参りました」
顔を上げないまま術者は淡々と告げる。三露より遙かに年上の男だ。自分みたいな少年に頭を下げるのは苦痛だろうな、と三露は心の中で嘲笑した。
「顔を上げろ。さっさと案内してくれ」
「かしこまりました」
頭を垂れていた術者がやっと立ち上がった。この男だって、望んで三露を敬っているのではない。三露の"総帥"という肩書きを敬っているにすぎない。
「…行こう、忍」
三露が振り返ると、忍は一瞬躊躇した後に小さく頷いた。大の大人が三露などに頭を下げているのを見て戸惑っているのだろう。
宙を飛び回っていた影が、三露の肩口に止まった。三露はそっと指先でその羽に触れる。島の術者は皆、影のようなものだ。三露を総帥として扱い、敬う。
三露は影から逃げて果京へと行った。しかし本当はこの島から逃げたかったのかもしれない。牢獄のようなこの島は、三露に不吉な予感しか抱かせない。



           

 





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