死体が動いたような奇妙な違和感。全身を突き刺す異様な空気に、三露は思わず身震いをする。
巨木の根本に蹲っている男は、乙羽の術者に違いない。
乙羽の一族は血を護ることで力を継承してきた。しかしその裏には良くない噂がつきまとい、同じ術者からも忌み嫌われてきた血筋だった。三露の組織も、これまでの歴史で乙羽の一族と関わったことはない。
その理由も、実際に乙羽を目の前にしてみればわかる。三露の目の前にいる男は、人間の形をした"不自然な何か"だ。男の表皮の内側で、良くない"何か"が死体に湧く蛆のように蠢いている。
「……何か御用ですか」
男が口を開き、三露は一歩後退る。しかしそれ以上は身体が動かなくなり、その場に硬直してしまった。いや、ここまで来て引き返すわけにはいかない。この男が術者の神隠しについて何か手がかりを持っているなら、何としても聞き出さなければならない。
しかし冷静にならなくてはという気持ちとは裏腹に、身体は本能的な恐怖を感じていた。無意識のうちに三露が汗ばんだ手の平をベルトへと這わせた時、男が不意に笑った。ほんのわずかに唇の端を吊り上げただけだったが、それでもナイフを探る三露を金縛りにするには十分な笑みだ。不吉な笑みを浮かべながら、男はゆっくりと口を開く。
「近頃は客が多い。私などに、一体何の御用ですか」
「……近頃?」
額に汗を浮かべながらも、三露は平静を装いながら訊ねた。たった一言を口にするだけでも、声が上擦りそうになる。すべては男の発する威圧感のためだ。
「あなたも力を秘めておられますね」
男が静かに言うのを聞いて、三露はハッと息を呑む。今宵は新月。周期的な力の波がある三露は今日がもっとも力が落ち込む。それにもかかわらず一瞬で三露が術者であることを言い当てるのは、さすが乙羽と言ったところか。
―――しかし「あなたも」とは?
乙羽の領域にわざわざ足を踏み入れるような術者など、三露には一人しか心当たりがなかった。
「……武政」
「ええ、確かそのように名乗っていらっしゃいましたよ」
男の目がすっと細くなる。つられるように、三露もベルトに挟んだナイフの柄を掴んだ。
武政は乙羽であるこの男と接触し、消えた。つまり。
「あなたが神隠しの犯人か……?」
苦々しく三露が呟くと、途端に男の顔から血の気が失せて真っ白になった。顔色と対照的に真っ黒な瞳は、驚愕に見開かれている。
「神隠し? 私が犯人?」
「そうでしょう。武政は確かにここへ来たようだ。そして消えた……猫を伝言役に残して」
ここまでの案内人を努めてくれた黒猫は、三露から少し離れた場所にうずくまっている。それを横目に、三露は男の漆黒の目をきつく睨み付けた。
しかし男の目は怯まない。三露をまっすぐに見返し、探るような視線を向けている。男は不意に立ち上がると、ごく自然な動作で三露へ向かって一歩踏み出した。それは威圧する動きではないのに、三露は思わず後退りそうになってしまう。それでも男の歩みは止まらない。
「あなたは神隠しなどが現在でも存在するとお思いですか。……人が消えてしまう、そんな現象が本当に存在するでしょうか」
畳み掛けるような、詰問とも呼べる男の問いに、三露は唇を引き結んだ。何を今更、と心の中で吐き捨てる。武政や他の術者達を消しておいて、よくもそんなことが言える。それにこの地には昔から伝わる神隠しの伝承があるではないか。
「小松には神隠しの伝承が……」
「伝承は本当にあったことを語り伝えるのではなく、人の口によって作られるのです。お話しましょうか、小松の神隠しの実際を」
男は三露の傍までくると立ち止まる。厳かな声で語られ始めた男の話を、三露は黙って聞くしかなかった。


神隠し。
かつて子供は神の眷属と考えられ、生まれてから七年の間は魂が不安定であるとされていた。そのため、ふとした拍子に神が子供を連れ去ってしまう、あるいは子供が神の世界に足を踏み入れてしまうことがある。そしてそのまま帰ってこないのだ。
ある日突然、子供がいなくなってしまう現象。これが一般的な、そして三露の知る神隠し伝承である。
しかし実際のところは、貧困に喘ぐ農村で、産まれた子供を口減らしのために殺していたのが元と考えられている。この小松でもおそらく、そういった口減らしが行われていたのだろう。
"子待つ(コマツ)"などと言われているが、本当は待ってなどいない。ただ死者に対する弁解のため、名付けられた土地名に違いない。
男の語る「小松の神隠し」は、三露の知っているものとほとんど相違なかった。ただそれは、口減らしなどではなく抹殺と呼んだほうが正しい気はしたものの。
「乙羽の一族をご存じですか。血で力を受け継ぐ、忌まわしい術者一族……」
木々の葉擦れに掻き消されそうな声で語りだし、男は静かに瞳を閉じる。眉間に刻まれた深い皺が男の刻苦を表していた。石畳へと落とした視線を上げ、三露は無言で頷く。男の強張った表情を見て、初めてこの男が生きた人間だということを実感することが出来た。
「乙羽と神隠しと、どういう関係が?」
三露が促すと、男は小さく俯いて口を開く。
「乙羽には代々、本家から後継者がたった一人産まれます。決まって力の強い者が、たった一人……おわかりでしょう」
「力が弱い者は、存在自体が消されるのか……」
胸の中に苦い思いが広がってゆく。三露も代々にわたって"総帥"を受け継いでいる立場として、他人事とは思えなかった。総帥を受け継ぐだけの力がないからといって殺されるのと同じことだ。なんと理不尽な暴力だろう。
「その通りです。力が弱い者は乙羽から抹消されます。これが小松の神隠し」
男は一息に言うと、三露を見つめた。
「ですからこの地での神隠しは、乙羽以外の者には全く関係のないこと。ましてや今の時代、神隠しなど起こるはずがない。あなたが消えたと言っている人も、神隠しなどではないはずです」
真剣な表情の男に、しかし三露は疑惑の目を向けた。神隠しなど時代錯誤であることは百も承知だ。しかし実際に術者達は姿を消している。この男の仕業だ、三露は口の中で呟いた。そうでなければ他に何が原因だというのか。まさか本当に神様が術者を攫ったはずもない。
「あなたが僕の仲間を"隠した"のではないのか、乙羽」
そうであってほしい、という願いを込めながら三露は静かに問いかけた。
この男が原因でなければ、途方に暮れるしかなくなってしまう。頷いてくれ、と思いながら三露が見つめた男の顔は、三露の期待を裏切ってゆっくりと横に振られた。
「私は何もしていません。武政という方とお話したのは事実ですが」
「じゃあ、どうして皆が消えたんだ!」
あなたのせいで、と続けようとした三露は、不意に聞こえてきた音に思わず口を噤んだ。
少しずつ近づいてくる足音。駆け足で石段を登って来るようだった。つい先程自分が登ってきた石段の方へ三露は顔を向ける。木々に囲まれた灰色の石段の向こうに、ふと垣間見えたのは銀色の光。
鬱蒼と茂る木々の隙間からの木漏れ日を受けて、銀髪の頭がはっきりと見えた。
「……真田?」
どうしてこんなところに。真田の姿を見た途端、昨日殴られた頬が鈍い痛みを取り戻した気がした。昨日の喧嘩で、真田は三露対して怒りを露わにしていた。それなのに何故ここに来たのだろう。第一、三露が小松にいることを真田は知らないはずなのに。
「三露!」
こちらに気がついたらしい真田が、石段の残り数段を勢いよく駆け上がった。真田の足元の石畳がスニーカーの靴底に擦られ、細かい砂埃が舞う。砂埃が陽の光を拡散して三露の視界が煙る。
次の瞬間、三露の視界に写る真田の像が一瞬にしてかき消えてしまった。


まるで虚像のようにゆらりと歪んで真田は消えた。
幻だったのかと疑ってしまうくらいに、跡形もなく綺麗にいなくなったのだ。
「いまの…!?」
何が起こったかわからないまま、三露は上擦った声を喉から絞り出す。手のひらを握りしめると、汗に濡れてぬるりと滑った。
頭の中が整理しきれず、物事をまともに考えられない。目を擦ってみたが、石畳の風景は一つも変わらなかった。
まるで何も起こらなかったかのように、辺りは静寂に満ちている。真田の声が残響となって三露の耳の奥にこびりついているが、それさえ聞き違えではないかと思えた。
三露が思わず足を踏み出し、靴先が細かな砂利にめり込んだ瞬間、砂利がふわりと中空に浮いた。
「―――え?」
三露は自分の目を疑ってしまう。どういうことだと考える前に強い風が吹いて、砂利が渦を巻き始めた。勢いよく飛んでくる石つぶては、渦中にいる三露にとって凶器以外の何ものでもない。
三露は腕を上げて顔をかばう。砂嵐のような状態のせいで、目をあけることさえ出来ない。突然の攻撃に翻弄されながら、三露は瞼をわずかに持ち上げて傍らの男を見た。
真田を消したのも、砂嵐も、この男のせいではないか―――。
しかし三露の予想に反し、男は焦りとも取れる表情を顔に浮かべて辺りを見回していた。その表情は死人のようだった先程までと違い、生きた人間の生々しさがあった。
三露の中で男に対する畏怖が薄れ、同時に男の仕業ではないのかという落胆が胸を占める。しかしそう思ったのも束の間、頬を打った小石に現実へと引き戻された。
「く、そ……なんとか……」
三露は片手で携帯しているナイフを握りしめる。しかしナイフなど、怪異の前には無力だ。術が使えれば応戦のしようもあるが、あいにく今日は新月。力のサイクルの関係上、三露はほとんど力を持たない。
歯ぎしりした三露の視界の端で、男が指を組むのが見えた。そして鋭い気合いが吐き出される。
「……ッ!」
その刹那、三露の周囲で渦巻いていた砂利は急に動きを止め、重力に従って地面へと落ちた。ばらばら、と雨のような音が鳴り響く。
三露は顔をかばっていた腕を降ろしつつ、男へと顔を向けた。助かったという安堵よりも、状況を把握せねばという焦りが強い。一体何が起こっているのか、全くわからなかった。
「乙羽、今のはあなたが?」
「術を解いたのは私です。襲ってきたのは……」
と、男は細めた目をあらぬ方向へ向けた。砂利を敷き詰めた向こう側にはただ木々が茂っているだけだ。男はその空間を睨み付ける。
「襲ってきたのは彼女ですよ」
吐き捨てるように男が言った途端、木々の風景の一部がぐにゃりと歪んだ。見る間にその歪みは人の形になる。まるで影が蝶から人型へ姿を変える時のように、歪みは一人の女性へと変わった。
三露は驚きのために声も出ない。女性がいつからそこにいたのかは知らないが、全く気が付かなかった。しかもその女性の足下には、先程消えたと思った真田が力なく蹲っている。
ざわ、と全身の毛が逆立った。
「真田!」
蹲った真田はぴくりとも動かない。助けなければ。自分が無力であることを忘れて駆け寄ろうとした三露だったが、その腕を男に掴まれてしまった。
「待ちなさい」
「邪魔をしないでくれ!」
「危険です。迂闊に近寄ってはいけない。あの子は何をするかわかりません」
男に言われ、三露は突如現れた女性を睨み付ける。確かに男の言う通り力のある術者なのだろう。三露を襲った砂利の原因も、もしかしたら神隠しの犯人も、彼女かもしれない。ならば尚更、真田を助けなければいけない。
「乙羽、あの女を知ってるのか?」
「私の妹です。顔を見るのさえ久しぶりですが……」
「……妹」
つまり彼女も乙羽の血族ということか。それならば彼女の術力もうなずける。彼女は薄い笑みを貼り付けながら、嫣然と三露の方を見つめていた。美しい女性だった。長い髪を含め全体的に色素が薄い。ほっそりとした身体は膝丈のワンピースに包まれていた。
「久し振りね、虚誠さん」
凛とした彼女の声は、からかうような響きを含んでいる。虚誠(コセイ)というのは男の名だろう。呼びかけられて、男が―――虚誠が歯を噛み締めるのがわかった。三露も思わず身を硬くする。
すると彼女の顔がゆっくりと傾ぎ、三露を捉えた。彼女は踞る真田の肩へと手をかけ、にっこりと笑う。
「貴方が悪いのよ。貴方が虚誠を放っておかないから悪いの。虚誠に近づく人は、みんな消してやるんだから」
言い放ち、彼女は真田の肩を抱いた。二人の姿が靄のかかったようにぼやけていく。三露は腕を掴んでいる虚誠の手をふりほどき、周囲の景色に溶けかかっている二人に向かって駆け出した。
「待て……待ってくれ!」
三露は二人に手を伸ばす。しかし彼女はするりと三露の手をすり抜け、浮かべていた笑みを一層深くした。
「あなたも、いずれ消されるわ」
三露の手が虚空を掴み、それと同時に二人の姿は完全に消えていた。真田が連れ去られ、ついに残された術者は三露一人きりになってしまった。
虚誠の妹という女性。彼女が仲間達を連れていった。そして今度は三露自身まで消してしまうというのか。しかし何故あんな女に、自分達が振り回されなければいけないのだ?
言いようのない怒りを胸に押し殺しながら三露が顔を上げると、虚誠はその場で空を仰いでいた。唇は噛み締められ、眉間に深い皺が寄っている。かたく閉じられた瞳からは、虚誠が何を考えているか読みとることができない。
しかしそれは先程までの死体ではなく、生きた人間の姿だった。全身から悲痛な悲しみが洩れだしている。
虚誠は空を仰いでいた顔を一度うつむけると、今度はゆっくりと三露の方へ向けた。
「あの子のした事は私の責任です。私が始末をつけます」


* * * *


頬に触れる優しい指先に、真田は意識を取り戻した。
うっすらと目蓋を持ち上げると、傍で息を呑む気配がした。息を吸い込むと湿った空気が流れ込んでくる。ひんやりと冷たいが、どこか饐えた匂いがした。
「真田、気がついたの?」
声をかけられ、真田はそちらを見ようと苦心して目蓋を押し上げる。ぼやけていた視界が徐々に鮮明になり、一人の少女を捉えた。
「……ミサ?」
幻影だろうか、と咄嗟に思った。昨日三露は、ミサと連絡がつかないと言っていたはず。ミサだけではなく四区の術者がことごとく音信不通だった。そのミサが、どうして自分の目の前にいるのだろう。
「ミサなのか?」
問いかけると、目の前の金髪の少女は黙ってコクコクと頷いた。結ばれた唇が震え、青い瞳が泣きそうに歪んでいる。
「心配したんだから…!」
「……」
身体を起こした真田にミサがしがみついてくる。それを受け止めながら、真田は辺りを見回した。
薄暗い空間。上下左右を覆っているのは岩壁だろうか。人が作った滑らかな壁ではなく、年月をかけて自然に研磨された凹凸のある岩肌だった。広さは四畳ほど、真田の左手側には人がやっと通れるほどの入り口らしきものがある。天井は真田が立って手を伸ばせば触れられる程度だ。圧迫感のある空間だった。
どうしてミサは、そして自分は、こんなところにいるのだろう。洞窟のような場所だが、一体ここはどこなのだろうか。
「ここは……?」
訊ねると、ミサが顔を上げて困ったような表情を浮かべる。
「わからないの。私、何もわかってない。さっきあなたが運ばれてきて……」
そう言われて、真田は鋭く息を呑んだ。そういえば、自分は三露を助けに向かっていたのではなかったか。影に案内されて小松へ行き、長い長い石段を登った。登り切った先で三露を発見した。しかしその続きの記憶はなかった。
「運ばれてきた、って誰にだ? ミサもそいつに連れてこられたのか?」
「それは……」
ミサは口ごもって顔を伏せる。言いにくいことでもあるのだろうか。問い詰める気にもなれず、真田は質問を変えることにした。訊きたいことならいくらでもある。
「いま、四区の術者が大変なことになってるんだ。みんな、ミサみたいにいなくなって……」
真田が説明すると、ミサが弱々しいながらも笑みを見せた。
「みんななら、あっちにいるわ」
と、左手側の通路を指さす。
「この向こうに、ここよりもずっと大きな場所があるの。みんなそこにいる」
「みんな連れてこられたのか……」
通路の方を見ながら、真田は苦々しげに呟いた。通路は真っ暗で何も見えない。この辺りがぼんやりと明るいのは、岩壁がうっすらと光を浮かべているからだろう。不思議な洞窟だった。
一体誰が、どうしてこんな洞窟に術者達を集めているのだろうか。
「ここから、出られないのか?」
訊ねると、ミサは小さく首を横に振る。
「無理なの。あっちの部屋にも通路があるんだけど、そこが通れない。何か、結界みたいなものが張ってあるんだと思う。破ろうとしても、私も、みんなも、力が使えないの」
「使えない?」
まさかそんなはずがない。真田は咄嗟に懐をまさぐり、小さな黒い石を取り出した。この石には悪魔であるローレライを封じ込めてある。真田が呼べば応え、出てくるはずだった。そういう契約を交わしてある。
「Ich weiss nicht、was……」
黒玉を手に真田が召還の言葉を唱える。すると黒玉を握りしめた手に、静電気のような鈍い痛みが走った。バチリと音がして、光がはじける。一瞬だけ周囲の岩壁が照らし出され、しかしすぐにまた元の薄暗さを取り戻した。
「……なるほど」
確かに力は使えないようだ。力を無くしてしまったというより、押さえ込まれているという感じが強い。悪魔を召還できなかったのは、真田の言葉に悪魔が応えなかったからではない。召還を中断させられたからだ。
痛みを堪えて召還しようとすれば、出来ないこともないかもしれない。しかしその場合、召還の媒介である黒玉や、真田の身体が保つかどうか。
危険すぎると判断した真田は、握りしめた黒玉を再び懐へとしまった。ミサが心配そうに真田を見つめているので、微笑んでやる。
「俺も力が使えないみたいだ。役立たずでゴメン」
肩をすくめて少しおどけたように言うと、ミサも微笑みを返してくれた。
「とりあえず、みんなのところへ行きましょう。真田が気がついたこと、教えてあげなきゃ」
「あぁ、俺もみんなの顔が見たいし……」
そう言って真田が立ち上がりかけたとき、通路の奥からくぐもった音が聞こえてきた。人の話し声だ。石壁に反響するそれは、内容までは聞き取れない。しかしそれでも、険のある響きが含まれているのが十分にわかった。
「何かあったのかしら?」
ミサが怪訝そうに首を傾げる。真田もわからないのでわずかに首を振った後、真っ暗な通路を覗き込んでみた。しかし光がなければ通路の先まで見えるはずもなく、ただの暗闇が広がっているばかりだ。
「とりあえず行ってみよう」
右手でミサの手を取り、左手を暗い通路の壁に這わせる。暗闇の先に何が待っているかは知らないが、みんながいるのなら状況が悪くなることはないだろう。相談してここから出る方法を考えよう。ここから出て、みんなが無事だと三露に伝えなければ。


暗く狭い通路の先に、ぽつりと明かりが見えた。はやる気持ちを抑えながら、真田は慎重に歩を進めていく。つないだ手からミサの体温が伝わってくる。通路の両側のひんやりと冷たい石壁に圧迫されながら、真田はその温かさを手のひらに感じていた。
出口が近づくにつれて鼓動が速くなっていく。落ち着け、と自分に言い聞かせる。
通路を抜けると、先程よりも広い空間がそこに広がっていた。先程の三倍ほどの広さがあるだろうか。しかし周囲はやはり石壁にぐるりと覆われ、黴くさい冷たい空気が漂っている。天井は先程よりも高く、圧迫感は随分とましになった。
真田達が今しがた出てきた通路とは別に、もう一つ通路がある。その通路の幅は広く、明るい光が差し込んでいた。そのせいか部屋全体が先程の場所より明るい。
みんなはどこにいるんだ、と視線を巡らせていた真田は、通路の傍に二つの人影を見つけた。忍と蓮だ。そして少し離れた場所には武政が座っている。
「よかった、みんな―――」
真田は呼びかけようとして手を口元に添え、しかし息を吸い込んだ所で動きを止めてしまった。
忍と蓮の向こう、通路の壁に手をついて誰かが立っている。
通路から差し込む光を受け、まばゆく輝く金髪。
「……三露?」
立っていたのはまぎれもなく三露だった。
三露は真田に気がついたらしく、こちらを見てわずかに笑みを浮かべる。助けに来てくれたのだ、と一気に安堵が訪れるのが自分でもわかった。思わず口元を緩めながら、真田は三露の方へ向かって駆け出そうとする。しかし硬くこわばったミサの手が、真田を強く引き留めた。
「駄目、真田……近づいたら駄目」
「え?」
振り返ると、ミサは真田には目もくれず三露のほうを向いていた。灰色がかった青い瞳は、敵視とも言えるほどに鋭く三露を見据えている。なぜミサがそんな顔をするのかわからず、真田は困惑した。三露が助けに来てくれたのに。
「いい加減に俺たちをここから出してください。貴方が何を目的にしてるのかは知りませんが」
険を含んだ声が真田の耳に聞こえる。慇懃無礼な喋り方は伊織蓮のものだ。三露に向かい合って真っ向から噛みついている。その背中が苛立ちを物語っていた。
確か蓮が消えて一週間も経つらしいと三露から聞いた。つまりこんなところに一週間も押し込まれているということか。苛立ちが募るのも無理はないと真田は思う。
しかし、なぜ三露にそんな風に噛みつくのだろう。出してくれというなら、ここに自分たちを閉じこめた相手に言うのが筋というものではないだろうか。
「……違うよな、三露」
そんなわけがない。三露は助けに来てくれたのだから。
真田の呟きが聞こえたのだろう。三露は蓮を押しのけると、通路から岩壁の洞窟の中へと入ってきた。笑みを浮かべながら真田の方へと歩いてくる。
「やぁ、ここは気に入ったかい?」
「……三露、何言ってるかわからない」
「少し肌寒いけど、広さは十分だろう?」
三露は手を広げ、がらんどうの洞窟内を指し示した。広さは十分などという言い方は、まるで三露がここにに術者を集めたみたいではないか。
何かがおかしい。真田は目の前の三露に恐怖を感じ、ミサを自分の背中に追いやって小さく喉を鳴らした。
「アンタ……三露、か?」
「おかしなことを言うね。僕は三露だよ、紛れもなく」
三露はくすくすと笑う。その顔は確かに真田の知っている三露だった。しかし何かが違う。どこかが違う。第一、なぜ三露がこんな場所に術者を集める必要があるのだろうか。わざわざ術者の力を封じ、結界で入り口を塞いでまで。
「真田、君で最後だ。これで周辺の術者が全員そろった」
「全員?」
三露の言葉を聞きとがめたのは真田ではなく蓮だった。動揺に上擦った声が広い洞窟内に響く。
「だって、じゃあ、京は……?」
あぁそうか、と真田の胸がじくりと痛んだ。そうだ、蓮は知らないのだ。一週間も前からこの洞窟にいるから、つい先日京が死んでしまったということを知らない。
真田とて信じたくはないが、京は死んだ。だからここにはいないのだ。
京がここにいない理由を真田は知っている。しかしもう一人、術者が足りないではないか。
「……一乗寺」
喉から絞り出されたような掠れ声は、ほんのわずかに空気を震わせただけだった。しかしそれでも三露は耳ざとく聞きつけたらしい。あぁ、と頷いて明るい笑みを浮かべた。
「一乗寺は死んだよ。僕が殺した。二回も死ぬなんて、なかなか体験できないだろうね」
三露の言葉は、しんと静まった洞窟の岩壁を非情な強さで叩いた。音の残滓は真田の鼓膜を震わせる。しかし真田には言葉の意味が理解できなかった。ただ目の前の三露を見つめる。
良く知る笑顔が、今目の前にある。真田はこの数ヶ月間で三露のことを友達だと思えるようになっていた。総帥と術者という上下関係ではなく、友達として平等な関係。日本で初めて出来た友達だったから嬉しかった。
とても嬉しかったのに。



           

 





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